1960年代の詩作のはじまりのときから!(エクスクラメーション)や'(傍点)を多用する者として、綺麗で古典的な詩作の方々から顰蹙(ひんしゅく)をかいつづけてきていましたが、それが、言語に隠れている亀裂あるいはそこから下りて行くことの叶う、夜への道(異界)への入口であること、そこへの絶えざる接近であることが判って来ましたのは、それをはっきりと自覚するまでには50年の年月が必要であったようです。ご質問の書法はnakedwriting とも magic memo とも一時は名付けていました、あるいは「佃新報」(newspaper)とも。細かい字(割註)やルビの騒ぎが自ら成育していってこうした姿になっていったのですが、発表形式のこともありました。ジャ―ナリズム(新聞、雑誌等)から、枚数、期日を定められてのいわゆる「依頼原稿」への抵抗がいつからかはじまり、とうとう、いまは「朗読会」や「gozoCiné」(新作)発表のためのオミヤゲとして、あるいは、番号入りの限定発行(これも出版です)とするようにもなって来ています。
多彩な色調にはどのような意味が?
「書」(『静かなアメリカ』の石川九楊氏との対談をご参照下さいませ)の一例でもあり、また、P・クレー、セザンヌ、ゴッホあるいはW・ブレークの仕事への接近という一面も無視できません。あるいは、ジョン・ケージへの共感も。
色分けの理由は?
「無意識」と「記憶」の布置or小石を僅かに揺らすこと。刹那にペンを持ち変えることの大切さ、豊かさを追っています。ゴッホの黄色や緑色を追って、彼の使った絵具を購入して筆先に置いたりもいたしますし、おそらく将来は、P・クレーがしていたでしょう、画布(基底材―アントナン・アルトー)の地を間断なく変えようとしていくことに近づいて行くのか。
この筆記法に込める想いは?
また読み手に伝えたいことは何ですか? いわゆる「エクリチュール」のことだけではないのです。時間の崩れのようなもの、途方もない宇宙の下風(したかぜ)―カフカ等・・・・に触れる生を、・・・・でしょう。 こうして問うて下さり、誠に心よりの感謝を。シンガポールの宝にされて下さいませ。
剛造拝。Gozo Yoshimasu Jan.28-9.2011 AM8.10
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