『裾花』より三篇

杉本真維子

拍手

背骨の、したのほうに、小さな、拍手がある
装置でも、偶然の、産物でもなくて
ある朝方、それをみつけて
スイッチを押したようだが、記憶はなかった、
博士の指示にしたがい
朝と夜だけ、多くても一日二回まで
という決まりだけは守った

すると目は空をうつしきれず
大空が目をうつし
ひろびろとした視野、というものが、
「むかし」への取材を放棄する

「いいことばかりじゃなかったです、とてもとても
あなた、かってなことばかり言って
過去、なんて、その程度のものなのですよ」

わたしではない口が
不満気に、でも、きっぱりと、言い放った
まばらな拍手はぐねぐねと体内をめぐり
私語をやめ
硬い岩となって野原でめざめる

あなたのつごう、あなたのはんだん、
あなたの、滲む血のかたちは、

ぜんぶ、その身体に、とじこめてあると
博士は言った
きっと誰にも褒められなくてよい
そのちいさく何よりも華やかな拍手のために、
ひとはふっくらと一人である





狂い栗

黴は赤く、てんてんとはびこり
誰にも知られず、患う欠片を
温める手がまだ、ない
するりと抜け、逃げ出したそれは
いやいやをする首もなく
キュウという声を漏らしたので
浴室で抱くと、ふやけながらかつて子は流れた

好きだった
目だし帽のぬくもり
隣人のにこやかな挨拶を逃れ
鍵をかけると着衣が肌を浮きたつ
まだ、目減りする乳房、縦にほそく捻じれ
玄関のつっかえ棒は、捨てられたにんげんでできている

弓なりに、顎をはずすほど惨めな
爆笑が、夜の手振りにはなぜ付着するのか
店の出入り口で
おい、という怒声に振り向き
ある日、狂い栗を持って走るような影を見た
あきらかに違う、窃盗の走り方を、
はやく、わたしにください





眠る女たち

相部屋の女たちの寝息は
重なることがなく、しだいに、会話を
求めて、
搔き回された空気が、
前髪を弄る、
不眠であることと、のけ者であること、
その、真夜中の告知によって
わたしたちはいつも一人なのか、
どうか、
対話せよ、眠るひとを連れて、裸足で川原で
踊ることや、水切りをすることは、
禁忌であって
あなたがたの行方は秘密のままだ

しだいに包囲されていく鬼怒川の流れによって
連帯はしずかにやってくるだろう、
ひとつ、ふたつ、羊の群れが人間を匿い
後ろめたさで何頭もわたしたちは、
屠ってきたのでは(ないか)、夢見は裁きのように、
取り返しがつかないから
ゆっさ、ゆっさ、と、女たちの身体を転がし
丸太のように運びだして
微かな鼾や、途切れた声や、
布ズレの囁きまでも
隈なく点検し、明日になったら男たちに
かえしてやる


excerpted from Susobana (Shichōsha, 2014), by permission of Maiko Sugimoto and Shichōsha


※『裾花』(思潮社、2014)より杉本真維子氏と思潮社の許可を得て掲載