死んだら困る
中島 義道
二〇〇六年三月X日
ウィーンに滞在している。三月だというのに窓の外は霧のような雪が小止みなく降っている。空に向かって傾斜している裏庭の遥か彼方には薄い光が舞っているが、気温は摂氏零度。天井の無闇に高い応接間に、ラカン、キルケゴール、フッサールなどの哲学書、それにチェーホフ、ディケンズ、ゾラ ( それにしても 『居酒屋』 は傑作だなあ )、正岡子規、大庭みな子などの文学書を持ち込んで読み耽る。そして、あれこれ考える。飽きたら、溜まっている原稿を書く。それにも飽きたら、テレビのスイッチを入れて、チャンネルをくるくる回す。ドイツ語を聞き取る練習と思って画面を追っていくが、がっかりするほどつまらない。そこで、アルタークナーベ、セルヴス、シュトルヒなど、スーパーで買ったとりわけ安いワインを飲む。酔ったら、台所を抜け、暗い中廊下を抜け、これまた天井の恐ろしく高い寝室で眠る。目覚めたら、また応接間で本を読む。腹が減ったら、何か食べる。これを繰り返すだけの生活。
もうじき還暦だ。ということは、いよいよ死ぬということだ。漱石が臨終の際に、無意識の口から洩れた言葉が 「死んだら困る」 だったという。本当に死んだら困る。このまま死んでなるものかと思う。だが、やはり死ぬのだと思う。何が困るのか、はっきりしない。いや、何もかも困るのだ。とにかく、このままおめおめ死んでしまうのだったら、生まれてきた甲斐がない。ドストエフスキーの描く 「地下生活者」 だったら、この後に 「胃が悪いのではないかと思う」 と来る。でも胃はかなり丈夫だ。
何度読み返しても、 「地下生活者」 に対するシンパシーはない。彼は現代風に言えば 「ひきこもり」 であるが、彼の小ささはひたすら滑稽であり、その思想は純粋でもなければ深遠でも精緻でもない。ひきこもりの男なら、誰でも考えることだけである。彼は文字通り、虫けらにさえなれなかった男であり、こうした男が社会に出ると、その小ささを完全に保持したまま、『未成年』 や 『悪霊』 に登場してくるような、自分の身体から半径一キロメートルが全世界だと思い込み、来る日も来る日もあの家からこの家へとどたばた駆け回る俗物中の俗物になるのだ。他人に振り回され、他人を振り回し、突如卒倒したり、顔面蒼白になって怒鳴りつけたり、下らない思想をとうとうと披瀝したり......と思うと相手の胸に顔を埋めて泣き崩れたり、虚栄心が強く、軽薄で、ヒステリックで、尻に火が点いたようにてんてこ舞いする輩に変身するだけだ。こうはなりたくないとしみじみ思いたくなる卑小な人間たちを、ドストエフスキーは悪趣味にも延々と披露している。彼らは寸毫も聡明ではない。性格が悪い以上に頭が悪いのである。
ドストエフスキーを含めて、作家のほとんどはそれほど頭がよくないが、それは根本的なことをとことん突き詰めて考えないことに尽きる。ドストエフスキーは、なるほど愛について、永遠の生命について、悪について、救いについて、時折思い出したように饒舌に語る。だが、「地下生活者」 の手記からイワンによる 「大審問官」 の話まで、哲学的思索は皆無である。彼が哲学的思索の訓練を受けていないのだから当然であるが。
この歳まで生きてきてよくわかったことだが、世の中にはどうして ( ドストエフスキーほども考えない ) ああも頭の悪い奴がうようよ生きているんだろ。反省もしないでいられるのだろう。それでいいと思っていられるんだろう。考えない自分を偉いとみなし、考える人を 「机上の空論」 を捏ね回していると非難さえしていられるんだろう。ただただ不可解である。いや、恐ろしい生き物だとしか言いようがない。私とは異世界の住民だから、抹殺しようとは思わないが、少なくとも近くに寄ってこないでほしい。
人間、考え続けていけば、年取ってもほとんどいつまでも考え続けていられる。 「思考の衰えは少しも感じない。毎日のように新鮮な驚きと発見がある」 と先日、酒の席で告白したら、哲学仲間のひとりであるS君に 「それこそ思考の衰えを示す最たるものだ」 と切り返されたが、当たっていないように思う。いつもいつも抽象的言語が、私の頭の中でぶんぶん唸り声を上げているのだから。
頭を明敏に保つには、頭を使い続けること、考え続けることが肝要だ。これは、肉体の訓練と同じ。私は四六時中考えている。歩いている時も、食べている時も、排泄している時も。何についてだって?少子化問題だの、環境問題だの、わが国の行く末だの......瑣末なことではない。人類の幸福だの、生きる意味だの......欠伸の出るほどくだらないことではない。もっと重要なこと、遥かに崇高なことを考えているのだ。それは、「何で見えるのか」、「何でいつもいまなのか」、「もしかしたら私は存在しないのではないか」 という問いである。
三月X日
今日も、朝から晩まで考えている。一日中どんよりした曇り空で、そこを斜めに切るように雪がさらさら降っている。気温は昼間でも摂氏零度。だから、テーブルにうずたかく哲学書を積み重ねて、次々に読み耽る。
ラカンはずっと敬遠していたが、昨年夏以来彼の 『カントとサド』 を翻訳する研究会に数度出てみて、専門家たちの話を聞いていくうちに興味を覚えるようになった。特に、 「エノンシアシオン (énonciation) の主体」 と 「エノンセ (énoncé) の主体」 の区別は面白い。ジュパンチッチの 『リアルの倫理』 や、ボルク・ヤコブセンの 『ラカンの思想』 を読んで、そういうことかと眼から鱗が落ちる思いである。デカルトの 「われ思う、ゆえにわれあり」 という命題は、そう語られる 「われ (エノンセの主体)」 に限定する限り明証だということ。そう語る 「われ (エノンシアシオンの主体)」 を隠蔽する限り、「無」 とみなす限り、殺害する限り、明証だということである。
これは精神分析において、患者が語る言葉に対する分析医の態度から出た理論であるが、診療室を出ても、「私」 という言葉の使い方の二重性として一般化できる。 「私、とっても幸せなんです」 と語る女が実は恐ろしく不幸であること、「僕は父を尊敬しています」 と語る青年が父親に殺意さえ持っているのは普通のことだ。この場合、語られた言葉の中に登場する主体 ( 私・僕 ) は、語りつつある主体とずれている。患者はエノンセの主体がエノンシアシオンの主体ではないことを意識してそう語っている ( 嘘の場合 ) つもりはない。といって、エノンセの主体とエノンシアシオンの主体を一致させる ( 真実の場合 ) わけでもない。その 「あいだ」 をメービウスの輪のように辿り続ける。サルトルが 「自己欺瞞 (mauvaise foi)」 という名のもとに分析したように、「私 ( エノンセの主体 ) は誠実です」 と語った瞬間に、エノンシアシオンの主体は不誠実であることを露呈してしまい、逆に 「私 ( エノンセの主体 ) は嘘つきです」 と語った瞬間に、エノンシアシオンの主体は真実を語ってしまっているように。
「私」 という言葉を使う限り、このずれから解放される道はない。「私」 という言葉を習得し、「私は......」 と語り出すことは、このずれを学ぶことである。エノンセの主体を立てることによって、エノンシアシオンの主体を言葉の支配する象徴界から抹殺すること、殺すことである。これは、すなわち言語習得以前のアダムにおける 「X」 を脱いで、 「私」 という衣装を着ることであり、メービウスの輪を辿ることを引き受けることである。一万円それ自身に一万円の価値がないこと、それは単なる代理物であること、すなわちニセモノであることを知りながらそれを使うように、言語 ( 大文字の他者 ) によって語りうる限りのニセモノの 「私」 を 「本当の自分」 として引き受けることである。
ただし、かくも無理強いの殺戮であるから、この嘘は至る所で顔を出し、われわれを居心地悪く (unheimlich) させる。ニセモノの自我を獲得した人間のみが、精神病にかかることができるのであり、自殺することができるのであり、恋愛をすることが、性欲に物欲に名誉欲に溺れることが、他人を苦しめて快楽を感ずることができるのである。
三月X日
今朝も考えつつ目覚めた。朝六時頃眼が覚めたので寝室のカーテンを開けるとまたもや雪。少々うんざりする。
昨夜キルケゴールを読みつつ寝入ったから、夢の中でもそれをずっと考えていて、そのまま同じ問題を考えていた。キルケゴールは、饒舌で、視野が狭く、言葉が跳ねていて、恐ろしく読みにくい哲学者だが、最近読んだクリストファー・ノリスの 『脱構築的転回』 の中で、それは読者を彼の言語世界に引き入れるためのぎりぎりの技巧であり、一種の 「脱構築」 だとあって、なるほどと思った。
昼に近づくと青空が広がってきたので、三日ぶりに外出することにする。実はこちらに来る時、多分飛行機の中で、クレジット・アンシュルタルト銀行の預金通帳を落としてしまった。預金額は千九百オイロ (二十七万円) ほどあり、通帳に百オイロ (一万四千円) くらいの札束を挟んで、それを上着のポケットに入れていた。途中、機内が暑くなったので脱いで膝の上に抱えていたが、邪魔なので頭上のキャビネットに入れた。そして、ウィーンのシュベヒャート空港に着いて、ポケットを探ると紛失したことに気づいた。現金はまあ諦めるとして、銀行の通帳も、誰が拾っても ( 暗証番号ではなく ) 暗証語 (Losungswort) を知らないのだから、引き出すことはできない。だが、今回はここから引き出そうと思っていたので、現金の持ち合わせが少なく不便である。まず、オーストリア空港の事務所に赴いて問い合わせたが、届けられていない。次に、クレジット・アンシュタルト銀行のグリンツィング支店に行ってみたが、口座番号を控えておかなかったので、即座に新しい通帳はできないとのこと。これで、こちらに滞在中は、思いっきり切り詰めた生活をしなければならない。
キルケゴールの 『不安の概念』 は、何度読んでもほとんどわからなかったのであるが、今回読み返してみて、すらすらわかるところがある。ハイデガーは、『存在と時間』 の中に人間存在の基本的な情態性を示すものとして、キルケゴールから 「不安 (Angust)」 というタームを借りたのだが、その意味を随分変えていることに今回気づいた。キルケゴールの場合、不安とはキリスト者のみが抱く感情であり、その原型は 「あの木の実を食べてはいけない」 と命じられたアダムの不安である。アダムは、エデンの楽園で神からこの禁令を受けた時、不安になったのだ。 「禁断はアダムを不安にするのだ。なぜかといえば、禁断は自由の可能性をアダムの中に目覚めさせるからである。負い目なさの傍らを素通りしていた不安の無が、いまやアダム自身の中に入り込んできたのだ」 ( キルケゴール著作集、氷上英廣訳、白水社。なお、翻訳に限り、表記や表現を適宜変えた所もある。以下同様 )。
今回、全身がびりびりするほど刺激を受けたことは 「アダムはなぜ神の禁止命令がわかったのか」 という大きな問いである。そうなんだなあ。アダムは最初の人間であって、禁断の実を食べる以前は言葉を知らなかったはず。それなのに、なぜ 「あの木の実を食べてはならない!」 という神の命令がわかったのか。命令の意味がわからなければ、それに反することもできないじゃないか。キルケゴールを読み始めたのは二十歳の頃だったから、こんな重要な問いに四十年も気がつかなかったとは! キルケゴールはこの問題と格闘する。そして、ほとんどフロイト、ラカン的解答を出す。 「この創世記の不完全な点、すなわちある者がやって来て、アダムには本質的に理解できないようなことを、アダムに向かって語りかけねばならないという点は、もしわれわれがその語りかける者が言葉であり、従って、語りかけているのはアダム自身だということを考えれば、解消するのである」 ( 同訳、同書 )。
アダムは神の言葉を理解できた。なぜなら、言葉を学ぶとは、大文字の他者を学ぶことであり、そのことによってアダムの内に 「私」 が成立するのであるから。だが、もちろんアダムはそのことを認識していたわけではない。禁令を受け、それを前に不安に駆られるという仕方で、言葉を自分の内に取り入れたのである。キルケゴールは、アダムが神の言葉を聞いた例の内に、アダム以降の個人が 「言葉」 という通貨による象徴界を取り入れることを通して、負い目のないアダムを殺し、象徴界で生きられる 「私」 というニセモノを獲得していく過程を読み込んでいるのだ。
三月X日
ウィーン滞在十二日間を終えて、成田に向かう飛行機の中で書いている。食事も終えてモスクワ上空を通過し、そろそろ皆眠る態勢に入る頃になると、頭が冴えて色々考える。窓のシェードを少し開けてみる。白い雲がずっとどこまでも続いている。空間とは何だろう。カントは、空間をわれわれ人間の感性の形式だとみなしたが、空間が主観的とはどういう意味か、かれこれ四十年近く考えている。主観的とは、個人的という意味ではない。意識の側に分配されて、対象の側には分配されないということだ。フッサールのタームを使うと、ノエマ ( 意識対象 ) の側には分配されず、ノエシス ( 意識作用 ) の側に分配されることだと言ってもいい。つまり、空間とは特殊な対象ではなくて、対象を捉える形式なのであり、対象を捉える 「仕方 (Art)」 なのである。普通われわれは、空間というと広がりそれ自体を考え勝ちだが、カントによると、空間とはそうではなく、広がりを可能にする形式なのだ。最近、考え始めたのだが、カントの空間概念は常識的な広がりではなく、従って、ニュートンの絶対空間とかライプニッツの実体間の関係ではなく、かなり特殊なものなのかもしれない。それは空間というより、空間的理解を可能にする条件とでも言うべきもののようだ。
だから、カントは身体を基準とした上下・左右・前後という方向に注目する。この方向に重ね合わせて、初めて空間概念が生じると考える。まさに、われわれにとって広がりを解する仕方はこれしかないのだ。それは、いかなる思考 ( 論理 ) によっても与えられない。対象や諸対象の関係からも与えられない。なぜなら、対象がなくとも空間が広がっていることをわれわれは知っているのだから。空間が主観的であるというカントのこだわりの中核部分は存外単純で、われわれは前後や左右を、自分の身体において端的に、いかなる推論にもよらずに決めるしかない、という所にあるようだ。カントは、これを 「感じ (Gefühl) による区別」 と呼ぶ。
こうした問題の立て方はアンスコムの提唱する一人称問題とも繋がる。すなわち、私は自分の身体状態に関してのみ、立っている、胸に手を当てている、指を広げているなど、暗闇でも ( ということは観察によらずに ) 知ることができるのである。私は私の身体の方向を感じによって知るしかないが、この延長上に、私は私の身体が住まう空間の広がっていく方向を感じによって知る。これが、空間が主体的だということなのだ。
再び窓のシェードを開ける。それにしても、なんと空間は広いことだろう! そして、いつも感じることだが、なんとこの宇宙は空っぽなことか! 地上だって、人間の住む所はほんの一滴である。パスカルは宇宙の大きさを前にして人間の虚しさを語ったが、これに対して、ネーゲルが 「では、われわれが宇宙と同じくらい大きかったら虚しくないのか」 と問うているのはおかしい。こういう問いを考えつくことこそ、哲学的センスなのだ。
カントは、森羅万象は 「私の表象=観念 (meine Vorstellung)」 だと断じているが、きわめて当然のことを語っている。もっとストレートに 「私は観念を飲み食いし、観念を着る」 と言い切ったバークリーは偉大だなあ。こんな当たり前のことに気がつかない御仁がうじゃうじゃいるんだから、困りものである。考えないからなのだ。
われわれが言葉を学ぶとは、観念を学ぶことなのだ。観念を観念以前のXより実在的なものとして学ぶことなのだ。観念としての痛みは必ずしも痛くない。観念としての赤は必ずしも赤くない。言葉を学ぶことは、痛くなくとも、痛いと語ることを学ぶことである。つまり、言葉というニセモノが交換されている象徴界に生きることである。こうした大局的見地に立ってみれば、実は、私の身体だって観念なのだから、空間が観念であることは当たり前なのだ。
「いま」 も観念、「死」 も観念である。ハイデガーのごとく、私の死を 「不可能性の可能性」 などと持って回ったような言い方をする必要などない。死に対する恐怖は死んだ状態に対する恐怖なのではない。それを私は知らないのだから。では、無に対する恐怖なのかと言えば、それも違うと答えるほかない。無もまた私は知らないのだから。私が知っているのは他人の死であり、他人の不在である。それを、自分の死に間違って適用して、恐れているのである。他人の不在は長さを持つ。恋人にとって、相手の不在が一日か一年かは大きな違いである。なぜなら、不在はそれを数える人がいるからである。だが、私にとって、私の死は不在なのではない。それは ( 多分 ) 端的な無である。だから、私は自分の死の長さを数えることはできない。死んでしまった私にとって、一日死んでいようと、一年死んでいようと、一億年死んでいようと、同じ端的な無なのだ。一億年死ぬほうが悲惨なわけでも、厳しいわけでもない......と考えているうちに、眠り込んでしまった。眼を覚まし、シェードをかすかに開ける。オレンジ色の眩しい太陽が雲海を照らしている。この光景もすべて観念である。とはいえ、死んだ後、ふと気がついたらこんな光景ならいいなあ。
「当機はあと十分ほどで成田国際空港に着陸します」。異様に揺れた後で、みるみる高度を下げ、雲の間から滑走路が見えてきたと思ったら、まもなく後方車輪のガタンという音を聴く。これもまた観念である。また堕ちなかった。しばらく生きていくほかあるまい。
(中島義道『観念的生活』文春文庫(2011)より、文藝春秋社の許可を得て転載)
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