静岡にて
岡本小百合
3月11日
この日、私は静岡市の実家に一人でいました。地震発生時には翻訳原稿を読んでおり、家全体がカタカタ震え始めたときには咄嗟に「あっ地震!」と「ついに静岡地震か!」という気持ちが同時に起こったような気がします。静岡には一昨年の夏に大きな地震がありました。そして三十年来、「十年以内に大地震がくる」とも言われ続けています。そのため私には地震を妙に冷静に受け止める心の用意がどこかにあり、震度4程度の地震では、さほど慌てることもなくなっていました。
棚から何かが落ちることもなく揺れはすぐにおさまり、また、おかしな言い方ですが比較的穏やかでもあったので、震源地は静岡ではないことは何となく体でわかりました。ちょうど、雷鳴を聞いて雷の近さ遠さがわかるのと同じような感覚です。念のため机の下に隠れましたが、隠れたのとほぼ同時に揺れがおさまったので、急いで居間に移ってテレビをつけました。画面が速報に切り替わったのと同時くらいにNHKを見始めたと思います。まだこの時点では震源地も震度もわかっておらず、ましてあれほど大きな津波が予想されるとは全く伝えられていませんでした。「東北地方を中心に大きな地震が発生した模様です。詳しい情報はまだ入ってきていません。余震と津波に十分警戒してください。繰り返します。東北地方を中心に大型地震が発生した模様です。余震と津波に十分注意してください。詳しい情報が入り次第お伝えします。」どこの局でも、そう慌ただしく繰り返していました。
間もなくして大津波の警報が発令されました。強く口調で訴えるような口調で何度も読み上げられたアナウンサーの声が今でも耳に強く残っています。「大きな津波がきます。海岸から速やかに離れ高台に避難してください。繰り返します。海から離れ、できるだけ高いところに直ちに避難してください。」同時に、画面には日本列島の地図が映し出され、大津波警報という聞いたこともない名の警報が発令されたことを示す太い赤い線が、東北の海岸線に点滅しはじめました。津波警報は瞬く間に列島全体に及び、予想される波の高さと警戒レベルに応じて海岸線が次々と赤からピンク、オレンジ、黄色に塗り分けられていきます。点滅する線に囲まれた日本列島の地図は、これまで見たどんな地図よりも不吉で恐ろしいものでした。
津波は想像以上の早さで沿岸部に到達し、港を襲い川を逆流して、家や道路を容赦なく飲み込んでいきます。波は大きな音を立てながら、おそろしいスピードで進んでいたはずです。けれども画面の前で、私はスローモーションの無声映画を見ているような感覚を覚えていました。体全身が目だけになってしまったかのように、津波の映像を見ていたときの音の記憶が今も全くありません。我に返って画面を見ると、道路にはまだ何台も車が走っていました。「お願い逃げて!早く!」私は叫ばずにはいられませんでした。
テレビの前に釘づけになりながらも、家族と友人たち、特に実家が岩手や宮城の友人に連絡を取るべく、私は何度も携帯と家の電話の両方からメールや通話を試しました。けれど既に回線はパンクしており、あるいは電線も切れていたのだと思います、すぐには誰とも連絡が取れませんでした。市内に勤める家族とはほどなくして連絡が取れて全員の無事が確認できましたが、仙台出身の友人の家族の安否がわかるまでには3日も時間がかかりました。彼女の家族の無事がわかった瞬間、何かの糸がプツンと切れたように思わず私は泣き出してしまいました。東京で必ずまたすぐ会おうと約束をして、私たちは電話を切りました。
4月11日
桜が咲いて、春がまたやってきました。
今年はけれど、桜は去年とかわらず綺麗なのに、町の雰囲気がいつもと少し違います。お堀の桜は見ごろをむかえ、山桜の白く霞む山を望む市内にはやわらかな風が吹き始めました。けれども恒例の静岡まつりは開催中止が決定され、お堀の桜のもライトアップされません。どこか春に何かが足りないような気持ちがします。そしてそれでいいのだとも思います。週末に重なった満開の見頃時期にも駿府公園に集まる花見客の姿は少なく、点々と散らばるブルーシートの冴え冴えとした青が時々ひやりと目に映ります。
浅間神社と駿府公園の周辺で開催される静岡まつりには毎年たくさんの出店が並び、賑わう出店をのぞいて歩くのは子供の頃から毎年一番の楽しみでした。焼鳥や綿あめや焼きそばやリンゴ飴―、お小遣いと相談しながらいろんなものを食べ歩きました。親に送り迎えを頼んで、子供たちだけで夜祭に出かけたこともありました。大きなリンゴ飴をかじりながら見上げた、ライトアップされた大きな桜の木の枝の姿を今でもよく覚えています。私は、漂ってくるお酒と花の混ざったような匂いにうっとりと酔ってしまい、気がつけば友人たちとはぐれてしまっていました。
駿府公園のお花見でもう一つ思い出すのは、初めてのボーイフレンドとのデートです。公園で、桜の木の下に座って過ごすだけのデートでした。手をつなぎ、寒くなると彼の上着のポケットに二人分の手を入れて、舞い散る花びらの数を数えました。枝の隙間から月を見上げ、横顔に映る枝の影をときどきお互いにこっそり盗み見しあいます。いつのまにか最終バスの時間が迫り、私たちは、結ばれてしっとり湿った手を夜風の中にほどき、さよならの合図をして反対の方角にあるそれぞれの家に帰りました。
ライトの変わりに月明かりに照らされて、お堀の桜は重たそうな枝を広げて水面にじっとその姿を映しています。下まで届きそうなその枝は、まるで堀の水を飲もうとしているかのようです。風のない夜の満開の夜桜は静かに美しく、その佇まいは震えを感じるほどに厳かです。
仕事帰りのサラリーマンが、コンビニのビニール袋を提げて私の数メートル先を歩いています。お堀の角で立ち止まり、彼は桜に乾杯してから、取り出した缶ビールを一人で静かに飲み始めました。お堀を走るランナーが軽快な足取りで私たちの脇を走り過ぎていきます。気が付くと、サラリーマンももういなくなっていました。
花嵐はまだです。まもなくあの風が吹けば、桜は水面に極上のカーペットを織り上げるのと引きかえに、枝から花びらをのこらず去らせてしまうでしょう。私は、先に散っていった花のことを、ここに立ち止まったままじっと考えています。
散る桜 残る桜も 散る桜
――良寛