日出ずる

小林エリカ

Artwork by Elephnt

彼女はゆっくりと目を開け、太陽の光を見る。太陽の直径は約140万km。水素原子核の核融合で発せられたそのエネルギーは、中心から100万年あまりの年月をかけて表面へ達し、約6000度の熱を放つ。そして光は、8分19秒の時間を経て、地球へ届く。

彼女がこの日本の東京の街に生まれたのは、広島の街に続いて長崎の街に原子爆弾が閃光を放ってからちょうど二年と一日後、八月十日のことだった。 

母の腹の中から彼女は十月十日で生まれ出る。

彼女は洋子と名づけられた。太平洋の洋をとって、洋子。

彼女六歳、小学校へ入学する年の三月、彼女はまっすぐな黒髪をはじめて彼女の母に三つ編みに編んでもらった。その同じ頃、かの太平洋、ビキニ環礁には眩しい光が放たれていた。アメリカによる原子爆弾に続く水素爆弾の爆発実験がはじまっていた。洋の真ん中に光とともに巨大な水柱とキノコ雲が立ち昇る。実験場の近くでマグロ漁をしていた第五福竜丸の乗組員たちはじめ多くが被爆し、マグロたちは原爆マグロと呼ばれ築地の地底に埋められた。

彼女はそれを母と一緒に訪れた暗闇の映画館の白黒ニュース映画で見た。彼女の母は髪だけでなく毛糸を編むのも得意だったので、映画館の闇の中でもずっと編み物は続けられ、その日のうちにマフラーができあがった。

その同じ三月、日本の国会では戦後はじめての原子力開発予算が採決され原子力開発がはじまる。それはウラン235に因み、2億3500万円だった。

彼女十二歳十一歳、中高一貫の女子校へ入学する一年前の冬、はじめて一万円札という札が発行された。そこには日出処の天子、聖徳太子の姿が印刷されていた。彼女はそれを見てうっとり目が眩む。そして、いつかそれをたくさん欲しいと思った。

彼女十七歳十六歳、高校二年の秋、日本ではじめて原子の力で電気が灯る。茨城県東海村に作られた動力試験炉JPDRが初臨界を迎えたのだった。それはテレビのニュースでもやっていたが、彼女の家にはまだテレビがなかったのでそれを見ていない。ただ中学校の時の数学の先生が、夫の東海村原子力研究所への転勤にともなって学校をやめたことを思い出す。

彼女十八歳、女子短期大学に進学。日米安保条約をめぐる動きからはじまり時は学生運動真っ只中だったに突入するが、彼女はそれとは無縁のまま卒業し、就職をする。

彼女二十歳、就職先として決まったのは日本長期信用銀行、長銀だった。まっすぐな黒髪は三つ編みに編むかわりに短く切ってパーマをあてた。

今やかつて望んだとおり彼女の手の中にはたくさんの一万円札があった。もちろんその金は一円たりとも彼女のものではなく銀行の金だったが、彼女はそれを夢中で数えた。今、札は機械が数えるが、昔、金は銀行の窓口に座る女たちがその手で数えたのだ。

彼女三十歳、銀行で働き始めてから十年目、医者をやめて作家を目指す男と結婚。それから後に彼女は、四人の娘たちの母になる。ちなみにその四番目の娘というのが私である。つまり彼女は私の母である。

その同じ頃、日本のあちこちには原子力発電所が造られていて、彼女が四十歳になる頃までには原子力発電所は35基約2788.1万kWの電力を街へ送り出すことになる。街は昼も夜も原子の力で光輝いた。

彼女五一歳、私を含め四人の娘たちが次々と独立したり結婚したりしてみんな家を出て行ったその年に、かつて彼女が働いていた日本長期信用銀行は経営破綻。もはや一万円札に印刷されているのは聖徳太子ではなく福沢諭吉になっていて、彼女が給料を貯めて買った銀行の株券はみんな紙くずになったのだった。

彼女六三歳、彼女の夫が死に、翌年、彼女の母も死んだ。私たちはその二つの葬式のために喪服を新調しなければならなかった。

彼女の母が死んだのは、東北に大きな地震と津波がやってきて、福島第一原子力発電所が、光を放ちながら爆発した年のことだった。インターネットの動画では白い煙が空に立ち昇り、目には見えない放射性物質が降る。しかし彼女の母が死んだのは、地震のせいでも、放射能のせいでもなく老衰で、クリスマスの晩のことだった。編みかけのセーターや帽子と一緒に、幾つもの鮮やかな赤の毛糸玉だけが残された。真夜中、街灯とネオンライトでぼんやり明るい東京の夜空から雪が降っていた。

彼女は新品の真っ黒な喪服を着て、後ろにひとつに束ねた黒髪にサングラスをかけたまま、葬儀屋に支払う金を数える。手の中で一万円札が広がってゆく。数年前にやった白内障の手術のおかげで、彼女には室内でもサングラスをかけなければならないほど光が眩しく見えるのだ。

それから私たちは一緒に喫茶店へ入った。そこでは、グレンミラー・オーケストラの「ムーンライト・セレナーデ」がしきりにBGMで繰り返されていた。その曲のレコード裏面に録音されていたのが「サンライズ・セレナーデ」という曲だということを、私はずっと後になって知ることになる。

そして、その「サンライズ・セレナーデ」が、世界ではじめての原子爆弾がアメリカニューメキシコ州トリニティサイトで太陽のような光を放つその時、ラジオから流れていた曲だということを。

ガジェットと名づけられたその原子爆弾の直径は約1.5m。マンハッタン計画、原子爆弾開発予算は約20億ドル。中心にあるプルトニウムの核分裂で発せられたエネルギーは、太陽の表面の約11倍約66,000度の熱を放ち、あたりを焼き尽くしながら光輝いた。

今、彼女は六八歳、もうすぐ彼女の娘がまたひとり母になる。

十月十日すれば私の腹の中から赤子が生まれる。

赤子はゆっくりと目を開け、太陽の光を見ることになるだろう。